コラム/ちょっと一息
オープンシステム設計事務所のコラムです。
 

第20回 ビーアイジーグループ代表 青山洋一の挑戦(6)
  山中省吾 2000.02.14

株式公開
 ビーアイジーグループの同業に、光通信がある。この業界のガリバー企業である。昨年東証一部に上場した。代表の重田康光氏は、史上最年少で店頭公開を果たし、脚光を浴びた。また、株式公開以来、最短で個人資産が世界トップ10に入り、雑誌フォーブスの表紙を飾った。
 青山さんは光通信の重田社長と同じ歳である。1965年の生まれだから、現在34歳である。若い、勢いがある。青山さんの話しを聞いていて、ふと思った。当初の闘いの場が、地方都市でなかったら、大都会を戦場としてスタートしていたなら、ジェットコースターの人生では無く、ロケットのように真空を突き抜けて、壮大な宇宙へ飛び出していたかもしれないと。
 「公開はいいよ。本当にいいよ。やって良かった。本当に良かった」。
 青山さんの正直な実感だろう。少ない兵で戦をおこし、地方で闘い、軍勢を増しつつ、都を目指した。さあ、これから広大な戦場を目の前にしていかに闘うか。株式の公開により、軍資金も手に入れた。
 1998年2月に店舗数50を達成。1999年6月に100店舗達成。年間50店舗づつ増えている。店の名前は、テレウォーク、セルラースポット、IDOプラザ、ツーカーショップ、J−PHONEショップ、ポケットショップなどで展開している。売上高は1999年6月期で約100億円、2000年6月期は160億円の予想。経常利益は5億円前後と驚くほどではないが、これは店舗出展の急拡大による先行投資が大きいからだ。従業員数は約250名、平均年齢25歳ときわめて若い。
 株式公開前の一週間は眠れなかったという。目が冴えて、目が冴えて、眠れなかったらしい。おかげで前日は、泥のように眠った。私たちも、そんな夜を是非体験してみたいものだ。

完結
 公開後一ヶ月間の話しもおもしろかったが、次の機会に譲ることにする。この話しをそろそろ完結させなければならないからだ。
 自分たちの置かれている環境とは随分ちがう、というのがオープンネットに参加している、おおかたの感想だろうか。確かに違う。違い過ぎるから私も書く気になったのである。ここに突っ込んでいくと、いつまでも完結しない。この問題はMLで掘り下げていくことにしよう。
 20万円もする「売れない弁当箱」、私たちの「オープンシステム」はその状態だ。トレンドは必ず来る。が、待っていてもすぐには来ないだろう。大手資本が大量の資金を投入して、マーケットを急拡大する手法とは違う。今のところ、弱小資本による草の根運動に頼っている。物と同時に心も伝えなければならない運動である。
 建築ジャーナリズムは他の業界に先駆けて、ポストモダンを掲げた。巨匠丹下健三は、ポストモダンに出口は無い、と言った。今建築業界で言われていることは、ワークショップ、住民参加がキーワードだ。オープンシステムは他に先駆けて、このキーワードに魂を吹き込もうとしている。
 個性豊かな建築士たちが、同じ志の元にネットワークを構築しつつある。パソコン、インターネットに関しては素人軍団ではあるが、この近代的な武器を手に、新しい戦闘態勢が出来つつある。戦闘経験は、今は未熟であるが、やがて小競り合いで勝利を収め、連戦連勝の日々がやってくることを確信する。
 あらゆるチャンスを捉えて、私たちの主張を語りに語ろう。書きに書きまくろう。青山さんが、朝まで語り合ったと同じように、私たちも朝まで語り合おう。その場所が、オープンネットMLであり、NEX−USの連載であり、CCIの連載である。オープンネット・ニュースもそうであり、山崎さんが出版する書籍もそうである。新しい時代を、トレンドを、私たちの手で引き寄せようではないか。
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