オープンシステム関連情報
各種メディアへの掲載、建物の受賞等、オープンシステムに関する情報です。
 

建築革命宣言!価格の見えるグッドデザイン(1)
  「CCI」 2006年5月号 オープンシステム実践前夜/(有)アトリエ・ラッツ 代表取締役 古後 信二

CCI 2006年5月号


続 『建築革命宣言!』 〜オープンシステム/ピュアCMに挑む建築士たち〜

価格の見えるグッドデザイン

第1回 オープンシステム実践前夜


寄稿
(有)アトリエ・ラッツ一級建築士事務所 代表取締役
古後 信二 氏

●建築家の職能

 アーキテクト(建築家)の語源アルキテクトン(大技術家)は、建築物のみならず都市計画にいたるまでの生活環境全般まで、責任をもって創造していく“職能人“に与えられた称号である。現在ほど建築家の職能が問われている時期はない。高度専門化された建築物において職能の細分化は避けて通れない時代である。事実上、建築家と呼称されるのは意匠設計者である。しかし、意匠設計者の職能範囲はどんどん狭まっているといっていい。はたして「大技術家」と呼べるのか。建築家を名乗る自分自身への大きな問いが横たわっている。

●事務所紹介

 有限会社アトリエ・ラッツ一級建築士事務所は九州の1地方都市である大分市に拠点を構える設計事務所である。総勢7人の若い事務所であり、住宅設計を中心業務とした、所謂「アトリエ系」事務所である。代表である私が個人事業主として1998年に開業してから丸8年。完成作品は現在17作品。少ない作品数ではあるが、日本建築家協会優秀建築選、日本建築学会作品選集、2年連続グッドデザイン賞、など、32件の受賞・ノミネートを頂き、認知度も広がりつつある現在である。イスタンブールでの日本建築家展にも出展をし、ワールドアーキテクトにもウェブ掲載、海外の雑誌にも掲載。母校である大分大学大学院の非常勤講師、日本建築家協会九州支部の幹事としての活動もスタートしている。

●オープンシステムとの出会い

 独立までの4年間、私は準大手ゼネコンの設計部に所属していた。東京の本社に1年間勤務。コンペなどの企画業務に携わっていた。その後、阪神大震災が起きる。

 被災の調査、復興まちづくり計画などで、大阪支店に数ヶ月派遣された。ここで、本社とはまた赴きの違う支店設計部の雰囲気を味わう。実務のプロフェッショナルの匂いを感じたのである。すぐさま転属希望を出す。

 大阪支店での3年間が始まった。

 実務知識はゼロの頭でっかち。おおいに怒られながらではあるが、企画、基本設計、申請業務、実施設計、監理、と、一通りの実務経験をつませていただいた。

 当然、ゼネコンの内部事情もいやがうえにも理解できるようになる。設計施工の長所短所。一括請負の長所短所。建設業界の本質を確かめる事ができたといえよう。

 バブル崩壊後の厳しい不況の到来。

 多くの社員が去っていった。独立といえばかっこいいのだが、実情は失意の都落ちといったほうが正確だろう。

 ゼネコン不要論まではいかないが、去っていくものの反動といえばいいのだろうか、CM、分離発注への関心が大きくなっていた。

 独立したのだが、予想通り仕事はない。1年間は失業保険で食いつなぐ事となった。

 私がオープンシステムに出会ったのは独立直後の1999年である。まさに私が捜し求めていた方式であった。

 この時期にはCM会社のさきがけといっていい企業が動き始めていた頃である。偶然新聞広告に掲載されていたものを目にして、すかさずアプローチ。すぐに入会をさせていただいた。まだ会員数が40社くらいの時期である。先駆者達から生の声を聞き、オープンネットによる各種の勉強会に積極参加。

 実践の機会を伺いながら、まずは、建築家としての実績づくりに取り組む日々がスタートした。

●#001 K-SOHO

 まちづくりの仕事をしながらなんとか生計を立てていた時、ようやく舞い降りた処女作のチャンスであった。2000年5月から設計に着手する。薄肉床壁構造を大分市で初めて採用し、かつ、外断熱通気工法を用いた、パッシブデザイン手法を取り入れた、意慾的なプロジェクトであった。事業収支から組み立て、コストパフォーマンスの高い内容となっている。現在も発展して展開しているRC造のモデルケースである。いくつかのメディアに取上げていただくが、次の仕事獲得までは時間がかかったが、確実な第一歩を踏出す事ができた処女作品である。大分市に2001年4月完成。

○受賞・ノミネート
・日本建築家協会優秀建築選2005
・グッドデザインアワード2001-02「ノミネート」
○作品掲載
・建築ジャーナル2001.08・建築知識2001.12・現代日本の建築vol.1・JIA建築年鑑「現代日本の建築家」優秀建築選2005
 
K―SОHО/О―SОHО 外観

●#002 O-SOHO

 2002年12月に大分県玖珠町に完成した。処女作を御見学頂き、依頼を受けたものである。ひとつの作品が次のチャンスを生むという瞬間である。

 薄肉工法の第2弾。今度は湿式外断熱に挑戦した。ロックセルボードを打ち込み、そのまま左官下地にするというものである。専門誌での執筆も行った。

 また、玖珠町は私の出生地。思い出深い作品である。

○作品掲載
・九州の建築家とつくるあなたの家67・現代日本の建築vol.1・建築知識2003.06

●#003 ECO-CUBE #01

 2003年2月に大分市に完成。

 初めての木造住宅の依頼であった。実情を言えば、木造は経験値ゼロ。しかし、それが幸いして、合理的なアイディアに発展し、プレタポルテ住宅として展開している。

 工務店に一括発注。

 うれしさもあり、毎日現場に通うが、小さな工務店の監督さんは複数の物件を動かしていて、現場滞在時間が少ない。むしろ、職人さんとの交流が深まる。現場の面白さと難しさを体験できた。

 ある種の分離発注を見据えた予行演習となった物件である。事実上、3作目にして、爆発的な評価を頂き、建築家としての地歩を確立できた作品といえよう。

○受賞・ノミネート
・グッドデザインアワード2003-04「受賞」
・木の国日本の家デザインコンペ2003「奨励賞」
・第18回豊の国木造建築賞「シンプルデザイン賞」
・日本建築学会作品選集2005「九州支部推薦」
・AWDA2006「サスティナブル木造住宅提案賞」
・オール電化住宅オブ・ザ・イヤー2005「最優秀賞」
・オール電化住宅オブ・ザ・イヤー2005「ユーザー賞」ノミネート
○作品掲載
・クリム2003.08・新しい住まいの設計2004.03号・メモ男の部屋2004.11号・現代日本の建築vol.1・私の選んだ一品3・グッドデザインアワードイヤーブック2003−04・プロトハウス#06・メモ男の部屋2003.11号・プロトハウスvol.6・ソトコト2003.12号・第18回豊の国木造建築賞受賞作品集・木の国日本の家デザインコンペ2003受賞作品集・おおいたの住まい情報誌ワイズ2004・環境デザインベストライブ
 
エコ・キューブ#01/エコ・キューブ#02

●#004 ECO-CUBE #02

 木造第2弾でありエコ・キューブの第2弾。

 前回と同じ工務店に発注。

 同じだからと安心していたが、専門工事業者と大工さんは別人。再度の打ち合わせに苦労する。工務店が同じでも職人さんが違えば過去の経験の積み重ねが効かないという事も分かった。この作品でも多くの受賞や掲載を頂いた。この時期から依頼が増え始める事になる。

○受賞・ノミネート
・AWDA2006「サスティナブル木造住宅提案賞」
・日本建築学会作品選集「受賞」
・カナダグリーンデザインアワード2004「優秀賞」
・AWDA2004「審査員特別賞」
・第19回豊の国木造建築賞「奨励賞」
・グッドデザインアワード2003-04「受賞」
・オール電化住宅オブ・ザ・イヤー2005「最優秀賞」
○作品掲載
・新しい住まいの設計2005.03号・日経アーキテクチャー2003.11.24号・スタイルハウス#12・行列の出来る建築家名鑑・AWDA2004Award book・現代日本の建築vol.1・環境デザインベストライブ・日本建築学会作品選集2006・第19回豊の国木造建築賞作品集・おおいたの住まい情報誌ワイズ2004

●#005 ECO-TUBE #01

 2004年4月に大分市に完成。

 土地購入に協力した不動産会社の建設部に特命するという事が決まっていた段階での設計オファー。

 特命の工務店とのやりとりに難しさを感じたのも事実。

 施主との信頼関係が成り立っていたからいいようなものの、情報の開示が極端に少ない状況が続いたのも事実であった。透明性というものの必要性を痛感した場面でもある。事実上、この物件を経て、いよいよオープンシステムの実践を決意したといっていい。

 とはいえ、この作品は我々に2年連続のグッドデザイン賞をもたらし、新たな可能性を切り開いた作品でもある。

○受賞・ノミネート
・グッドデザインアワード2004-05「受賞」
・AWDA2006「サスティナブル木造住宅提案賞」
○作品掲載
・新しい住まいの設計2005.04号・グッドデザインアワードイヤーブック2004-05・おおいたの住まい情報誌ワイズ2005・行列の出来る建築家名鑑・ガレージのある家6
 
エコ・チューブ#01

●いよいよオープンシステムの実践へ

 5つの作品を通して、建築家としての立ち位置を地方都市において作り上げてきた。この間、いっさいの下請仕事には手を染めていない。いい仕事をしていけば、必ず次につながる。そして、広告費をはらわずに、各種メディアに取材もしていただき、認知度は広まっていった。地方都市においては非常に稀なケースである。

 オープンネットの会員となって5年ほどもたとうとしていた。仕事獲得という側面からいえば、我々はデザイン性だけでも勝負する事ができた。

 しかし、山中代表の言葉が私の胸を打つ。

 「自立した、誰にも依存しない本物の建築家になろう」。たしかにデザイン性では評価されたが、工務店にまかせっきりになっていた側面もある。工務店に無理難題をけしかけていたかもしれない。自分の実力を知りたい。

 そんな決意が固まってきたのである。

 奇しくも高校大学同期からの仕事の依頼が来ていた。オープンシステムについて熱く語り、大分市においての第一号、我々にとっての第一号としてスタートさせていただける了承を頂けた。持つべきものは友である。2004年のゴールデンウィークの出来事であった。



DATA
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古後 信二(37歳)
(有)アトリエ・ラッツ一級建築士事務所 代表取締役
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■プロフィール
1969年  大分県玖珠町生まれ。
1992年  大分大学工学部建設工学科 卒業。
1994年  大分大学大学院 修了。(佐藤誠治建築・都市計画ゼミ)
1998年  アトリエ・ラッツ 設立。
2004年  四日市門前町まちづくり協議会顧問 就任。
2005年  有限会社アトリエ・ラッツ代表取締役 就任。
2006年  大分大学大学院非常勤講師 就任。
      JIA九州支部大分会 幹事就任。

所属:(社)日本建築家協会、(社)日本建築学会、
    (社)日本商環境設計家協会、
    オープンシステムネットワーク会議、日本CM協会。
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■連絡先
(有)アトリエ・ラッツ一級建築士事務所
大分県大分市上宗方1996番地の1 K-SOHO 101

TEL:097-542-7430
FAX:097-542-7430
E-mail:rats@oct-net.ne.jp
URL:http://www.open-net.jp/site/page/jimusho/japan/kyusyu/ooita/rats/
 
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